たぶ噺。

たぶがちょこちょこしゃべります。

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I'll never be...

…卒業式をサボってしまいました。
体調が良くなかったってのもあったんだけど、
なんか卒業「式」ってのがあんまりピンと来ないのもあって、休んでしまったよ。
実は人生二度目です。小学校の卒業式も行ってない。
ちなみに妹は高校の卒業式に行ってない。
自分は高校の卒業式は、後で大嫌いな担任と対マンせなあかんのが死ぬほど嫌で
仕方なく出た覚えがあります。

家風なのか何なのかよくわからないけど、
自分は「節目」に何か全体でイベントごとをするということに
非常に違和感を感じる人間です。
「成人式」をとっても、自分の場合は特に、成人の日には未成年なわけだし、
成人したからと言って今の世の中世間での扱われ方が変わったり、
ということもないわけだし。
「卒業式」をとっても、もう授業は終了していて、単位も揃っているんだから、
なんだかなぁ、という感じで。
どちらの場合も自分の意識が変化する、というのはあるだろうし、
自分でも多少そういうのはあるけれど、
それは個人的なものなんだから、なおさら式に参加する必要性っていうのが
わからなくなってくる。

もちろん建物やら人やら、思い入れはあるんだけども、
それもやっぱり個人的なものだしなぁ、
個人的に「さよなら」・「お世話になりました」ってできればいいんじゃないの、
と思ってしまいます。
どうも帰属意識というのが極端に薄いらしい。

それに「節目」や「終わり」と区切ったって、
あるようでないようなものだと思うのです。
例えば付き合ってた人と別れたりだとか、大事な人が死んでしまったりだとか、
別れた・死んでしまったその次の瞬間から
その人の存在やその人への気持ちがなくなるわけではない。
でも知らない間に別れを受け入れられていたり、誰かを許せていたり。
一つ歳を重ねたところでこれといった変化があるわけではない。
けど誕生日が過ぎていたって、おめでとうを言われれば嬉しい(ありがとう!)。
気づかない間に、嫌でも子供じゃなくなっているのも、そう。
卒業したって、4月3日までは、気持ちを引き締めつつも、
学生として過ごしてしまうのでしょう。


人生っていうと大袈裟だけど、そういえばそんなものだな、と
もう随分前に、「終わり」らしい終わり方をしない村上春樹の小説を読んでいて
気づいたのでした。

でもだからって投げやりに生きているとか、
節目を大事にしないとか、そういうのではないのよ。
世の中で決められた節目には関係なく、
自分なりに、自分のやり方で節目とか別れとか、大切にしているつもりです。
その割りにおまえさん付き合い悪りーーよ、と突っ込まれそうですが、
それでも、えぇ、大事に思ってますから!ほんとだよー。
付き合い悪くても、愛情が薄くても。


年末からよくラジオやテレビ番組で流れていて印象に残っている、
James Bluntの「You're beautiful」という曲があるんですけども。
トリノ銀メダルのステファン・ランビールもエキシビションに使ってた。
繰り返される"You're beautiful"のフレーズと、
弧を描く彼の叙情的な滑りが調和していて、素敵だった。
そのサビの最後に
「I'll never be with you」とあって。
最初歌詞を知らずに聴いてたもんだから、
「僕ら今こうして一緒にいるけど、きっといつかは離れてしまうんだろうね」
って感じなんだと思って、うわ切ねーーー、なんて思ったりしたんだけど、
(洋楽のラブソングは結構素直に聴ける方です)
実はそうではなく。
地下鉄で昔の彼女を見かけ、
「やっぱり君は綺麗だね、でも僕らがまた一緒に居られるなんてことは
決してないだろう」
という感じの歌らしいです。
でも最初の印象と、PVの印象とで、歌詞の本当の意味をしった今でも、
最後の「I'll never be with you」が際立って聴こえてしまう。
ビデオは至ってシンプルで、
James Bluntが歌いながら身に着けているものを一つ一つ外していって、
最後はジーンズ一枚になって海に飛び込んでしまう、というのを
殆ど定点から撮影したものなんだけど、
間奏の時に目の前に並べた靴やらリングやらにちょっとずつ触れて整える、
っていう仕草が愛おしくて愛おしくて。

なんか、真っ白な死のイメージ、のような。
大切なものや思い出を並べて、愛おしそうに眺めて、
でも死んでいくその瞬間には自らは空っぽ。
そういう死に方がいいなぁ、と思った。
「またね」と言って、それが最後の別れになってしまう人なんて
いくらでもいるんだろうし、
今繋がっている人達ともいつまで繋がっていられるかなんて
わかったもんじゃないけど、
最後には、そういう人達や、もう会うことのなかった人との思い出や、
楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったことや
それらを忘れてしまったということさえも一つひとつ愛しく感じて、
一つひとつ感謝できるようでありたい。
そして、死ぬ瞬間には空っぽになって、誰にも波紋を残さずに、消えていく。
そんな死に方ができたら最高。だな。


何やら余計な尾っぽがつきまくったけど、
「節目」に自分なりにこんなことを考えたのであった。
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  1. 2006/03/25(土) 19:29:03|
  2. ひとりごと。|
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